ラバーダッキングするブログ

脳みそ垂れ流しブログ

仕事が辛い

最近、仕事が辛い。 辛いと言うよりかは、身が入らない感じだ。

私は自分のいる組織の中では上にも下にも人がいる立場で、 自分と同様の役割(私よりは管理者的意味合いが強くはある)を持つ先輩社員が何人かおり、直接の上司は他の事業部も取りまとめる「超つよい人」だ。 フルリモートで、給料もよく、実際のところかなり恵まれた仕事環境にいる自覚はある。それは大学やサークル、中高時代の友人と話していてもよく感じることである。

こう言う時、私は「自分は恵まれた環境にいるのだから、これで辛いだなんだと言っていたら軟弱にも程がある」と、自分を言い聞かせてしまう。友人や、コーチングをしてくれたコーチからは「真面目だね」と言われることがあったが、実際のところ自分を真面目な性格だと自分では思っていないけど、周りからそう評価されると言うのは、実はなかなかゾッとしない話だったりする。

ここでは一旦、自分は真面目であるとして話を進めるが、真面目であることと、実際に自分がそれをこなせるかは別問題なのである。 誰だって、怠けることも、分かっていて悪いことすることだってあると思う。 でも、それは多くの人の性格では「そのような行動を取る自分を許せるからその行動が取れる」ということらしい。 ただし自分は違う。 自分の中で、規範となるような在り方は確立していて、それは自分の実際の姿よりも高いところにある。そして、自分以外の人間もそのラインを当然のように求めてきていると錯覚しているのだ。

しかし、実際のところ、そうではなく、人は当然怠けるし、9時間拘束の8時間勤務で1時間以下の休憩しか絶対に取らない人もそうそういないらしい。 でも、ある人からこの話を聞いた時、「え、あなたそう言う働き方してたのに、自分からはそうは見えなかったな」と言うことに気づいたのだ。

つまり、みんな、そういうところを騙し騙し生きてきていて、絵に描いたような不正を絶対に許さないような性格の人間は(ある人を陥れたいような場合を除いて)いないのだと思う。でも、おそらくそれは正しいが、頭で理解できても心が納得しないのだ。

ここで本題に戻るが、仕事に身が入らないと言う状況がかなり前からまあまああって、自分としては、怠けてしまう自分と、それが許せない自分が共存しているのだ。 許せないからと言って辞められるわけではないと言うのが、あまり理解されないかもしれないが、できないものはできないのである。

そうしたとき、暫くは「自分が悪い」と思っていた。いつもいつまでにこれを片付ければOK〜みたいな感覚で引き伸ばしてギリギリで手をつけるようなやり方をしていたが、まあつまり負荷分散は十分できるはずだったのだ。まぁここまで見ればお前が悪いという意見にあまり異論はないだろう。

普通に体調的な不安定さがあるときとかも、仕事には全然手が付かない。 仕事じゃなくて自分がやりたいことだったらそんなに気になるもんでもないのだが、 夜中まで酒を飲んでいたりした翌日は大体朝のパフォーマンスは最悪だ。

ここまできて、わかったことがいくつかある。一つは、どうしてもやらないといけないことがある状態であれば、自分はすごく効率よく稼働できると言うこと、もう2つ目は、自分が怠けるのはまだいいとして、 このせいで部下が動けないという問題が発生すること。3つ目は自分が手を動かすことがこの会社では基本的に許されないと言うことだ。

この2点目は、かなり上司にもキツく言われて、改善しようとしているところではある。 何が問題かと言うと、うちはフルフレックス制をとっているため、1日のうち働く時間は朝五時から夜十時までのいつでもよくて、月間で平日日数*8時間働いていさえすれば契約上の問題はない会社なのだが、実際眠いと言う理由で14時から17時まで寝たりすると、その間部下のインターン生たちは自分の指示がないがために動けないのだ。 これが実は結構問題で、インターン人数に対して社員の数が少ないため、一人3人とかインターン生を持つわけだが、 これつまり放置できる日が全然ないんですよね。 これは問題だ。

3点目は、仕事が「つらい」と言う部分に絡んでくるのだが、私は今まで、できないことや期日までに終わらせられないようなことをバイタリティで生産していたところがあるのだ。まあつまり自分が単純に時間を使って手を動かせば、それだけ成果が生まれると言う話なのだが、これをすると、プロジェクトの利益率が非常に悪くなってしまうのだ。 

最終的に上から色々言われることはこの「利益」のところになってくる。基本的にうちの取り組みは顧客に毎月定額を払ってもらい、その中で作業をするような形になるのだが、この構造だと、基本的に自分が気が済むまで作業を進めると言うのは不可能なのだ。

かと言って、どうやらうちのボスから見た報告書のビジネスインパクトは別に高いわけでもない。 精算したその時間分、提供できている価値が高まっていると言うわけではないと言うのが、うちのボスの評価なんだと思う。

結局、自分の能力は求められているものより低く、自分が頑張りたいと思っていることはやっても誰にも評価されない。自分が出した成果物で、クライアントの利益額が増加してくれればわかりやすく分析をやるモチベーションにもなるが、コロナも合間って、自分がやったことが実際どれだけの意味があったのかなんて全くわからないと言うのが、結局自分が怠けてしまう理由なのだと思う。

そんな状態で、分析をしろって言われたって、成功体験の一つもなく、それによってその会社がどう言う行動を取ったかなんてのも、全然FBがない。 そんな状態で一体

おそらく、うちのボスから見たら、その報告書にはどれだけの価値があって、実際内部ではこう言う使われ方がするのか のようなところは見えているのだと思う。 それが見えてかつデータサイエンスで何ができるのかまでを理解しているから、 顧客に対して、様々な提案ができるし、それはもちろん無理なことではないから、部下も手が動かせる という構造にはなっていると思う。

ただし、部下である自分が、これに対してどのようにモチベーションを維持して取り組んでいけばいいのか という話になると実際無理があると思うのだ。 自分が真にやりたいことがデータサイエンスを活用したコンサルティングであり、それをうちのボスのもとで学ぶことそのものがモチベーションとなるのであれば、それは大いに結構なのだが、生憎自分はコンサルティングがしたいわけではないのだ。 私がやりたいのはどちらかというとエンジニアリングの方によっているから。 でも、そう言ったことをするにしても、最低限「価値のある分析のするデータサイエンティスト」にならなくてはいけないという意識はあって、 その点で今いる会社がそこだけに突き抜けているから、自分にとっている意味があったのだ。ただそれだけのためだったのだから、今の状況でモチベーションが保てないのも全く、変ではないのだ。

それに、自分が楽しいと思えるのは、ガリガリと自分の作業をする部分であって、メールの文面を考えるとか、リッチな報告書を作るとか、そう言ったことは確かに社会人として生きていく上で必要な能力ではあるだろうが、それは、自分が真にやりたいことではなくて、そういうのが得意な人に全て任せたいというのが本当のところなのだが、自分に今求められていることはそういう部分になってしまっているのだ。

結局、自分がやらなければいけない部分がそういったことだから、作業する気が出ず、作業をし始めないとやる気は出ない。そうなると必然的にパソコンと向き合っている時間は減るし、自分が指示をしないといけない人に指示を出すのも、質問に気付くのも遅れてしまう。そう言った悪循環が結局のところ利益率という形で自分の評価で返ってきているということなのだと思う。

つまり、この解決策は大きく2つあり一つは自分の立ち位置を変えること、もう一つはこれ自体がモチベーションになるような体験をすること。 後者についてはぶっちゃけ近いうちにそんな都合のいい事件が起きるとは思っていない。理由は自分がこれから出す成果物から行ったアクションによって、何か先方の中で変化が起こり、データにそれが反映されるまでには時間がかかると思うからだ。つまり前者の方が健全なわけだ。

自分がゴリゴリ作業を進めるのが好きだというのと、他の人に作業を振らないと立ち行かないというこの二つは、実際のところ、相反する部分である。 自分が人に作業を上手に触れるようになって、自分の手が開く状態を作らないと、やれることは自分がボトルネックになって、いつまで経っても増えないからだ。 とはいえ、自分が分析コンサルティングをする上で、だれかの上に立って進めるというのは、本質的に適性があるかないかの問題以前に時期尚早なのだと思う。 だって今まで誰かの下で分析をやったことなかったからね。

ここまで考えると、自分にこれだけの負荷を与えてできるようにさせるという采配そのものに無理があったのでは、という話にはなる。とはいえ、これが自分にとってのモチベーションにならないことは私もボスには伝えていなかったことなので、自分にも非はあるし、こうなってしまったことは、誰のせいでもなく仕方のないことだったのだと思う。

私は自分に対する投資の意味合いを含めて今のプロジェクトの状況があると、そうボスに言われ、 だから自分が辞めてしまっては、会社としてはなんの意味もない投資だったと思われてしまうと考える。特に今のクライアントとの取引がなくなってしまったら、いよいろ私が赤字切って仕事していただけということになってしまう。 それが許せなくて、雇ってもらった義理とか、先輩社員に色々面倒かけたこととか、色々込みで、辞められないと思っていた。

でも、誰かに投資するという行動そのものがε-greedy的な、探索的な行動であったと思えば、つまり、自分がこの建て付けの中で「ダメな奴」だったことそのものが、会社にとって一切意味のないことだとは言えない。

もちろん、その負債の返済は、おそらく別部署への配属であったり、持つ仕事を変えることであったり、そういうことで最も効率よく成し遂げられることなんだとは思うが、そこまでを雇われる側が気にする必要はないのだ。日本において雇われる側にはそれだけの権利がある。そう思っていないとやってられないし、「真面目な自分」をさしおいたら、もし自分が最も幸せになる方法が転職なのだとしたら、そこに迷いは必要ない。

そして私が転職するのは、そこでかかった負荷で会社を嫌いになったとか、そういう話ではなくて、単純に新たな場所でできそうだと思うことが、単純に自分にとって魅力的だから、そっちに身を移したいという、ただそれだけの話なのだ。

これから数ヶ月の間は、実際に自分ができることできないこと、向いていることむていないこと、転職する場合するまでの間にこの会社で何を習得しないといけないのかを、はっきりさせて、自分のために精一杯仕事をしたい。