ラバーダッキングするブログ

脳みそ垂れ流しブログ

残りの人生、どう生きようか。

最近、平日の昼間は毎日、自宅で在宅ワークをしている。リモート勤務といわれるやつだ。

自分で選んだ業種だし仕事だし、新卒にしては給料も高いうえに実家だからお金には全然困らない。 何不自由ない人生なように思えるかもしれないし、羨まがられるかもしれない。だが、本当にこれでいいのかという思いがぬぐえないのだ。

よく聞く話に、30まではブレブレでよくって、 30くらいからやっと何のために生きるのかを決められるものだ見たいなものはある。私は22歳だから、別に待ってしまえばいいとも思うが、別にこれって待っていれば勝手にあちらから歩いてくるものとも思えないし、早い段階で決められて、もしその実を突っ走っていければとても楽しいと思うのだ。それに体力のある今のうちが、一番クリエイティブになれる時期なんだと教えてくれた人生の先輩もいる。

劇的な人生なんて、望んで得られるものでも、望むべきものでもないのかもしれないけど、僕は劇的な人生を歩みたいと思う。 少なくとも今までの人生は、平均的な同世代よりはいろんなことを見聞きして生きてこれたとも思う。これからの人生もそうありたいと願う。 でも、これからのことが、あまりにわからなさすぎるのだ。まったくもってビジョンが見えない。

今までの人生は、何もしなくても3年毎くらいに、環境が勝手に変わって、その3年間の中にも山があった。親や先生が望み、勝手に与えられる「普通」に沿って歩んでいくだけでも、つまり大きな意思決定を自分でしなくても、ある程度は楽しい生活ができたのだ。これだけでも幸運だとは思うのだが、これからはその幸運を自分でつかみに行くことを強いられている。だがその経験も方法も丸で手の中にないこの不安ったらない。

まぁまぁ生きる上でのモチベーションがあると思っていた自分ですらこうなのだ。同じような漠然とした不安感というか、問題意識というか、そういうのを抱える同世代の人間は本当は多いはずなのに、全然そんな問題はツイッターで流行らない。思っている人がいても、共感する人が多くないから、自分のところまで回ってこないのだろう。

どちらかというとこの疎外感的な部分のほうが大きいような気もする。え、みんなこんなふわふわした状態でよく仕事に精が出るね!嫌々言いながら職場に通勤できるね!って。そう思う。自分にはできないことだし、お前らどうやってこれから残りの75%くらいの人生を歩んでいくつもりなのかと。そういう後先のことを考えないで、あるいは今は考えないでもいいという確信をもつことが、なぜできるのだろうか。僕は自分の未来が不安で仕方ない。

でも、こんなことを思うのは、今の仕事に本気ではないからなのかもしれない。(つまり、僕以外の大勢は今ある仕事をとりあえず精いっぱいやることにエネルギーを注いでいて、未来どころではない状態であるという仮説)でもこれは仕方がないことだとも思う。僕の手元に与えられる仕事の量は、会社や部署が抱えている社内外の案件に依存しているから、それが空になったら、自分のやることなんてあるはずがない。 こんな状況でも、ただでさえ高かった初任給が、4か月で3万円も上がったし、この程度で世界は僕を評価してしまうのだ。

しばらくは、このもやもやのまま、生きていくことになりそう。