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生きる理由

生物の様々なパーツや習性には、思ったより深い意味がある場合があるらしい。例えば、哺乳類は排卵期よりも発情期が長いらしい。これは自分の子供が誰の子供かわからない状態を作ることで、敵の雄を極力減らすためと言われている。人間もお遊びで性行為をするのは、他の動物で言う発情している状態だからというこということがわかる。

まぁこれに限らず、すべての動物は「自分の子孫を残すために適した行動をろうとする」らしい。あるいはそれに適した遺伝子が生き残り、適していない遺伝子は進化の過程で淘汰されていくのだと思う。つまり、例えば「危険を感じたら逃げたくなる」という性質は、「危険=死を回避する」という意味であり、それができることがより長く生きられ、子供を作るチャンスが多くなりやすいということなんだ。

ここで、一つ疑問をもつ。多くの行動を「子孫繁栄のため」という目的に則するのなら、では「子孫を反映させること」のメリットは、その生物1個体毎にとってどんなものなのだろうか。

まず思いつくところ、無理やりひねり出した言い訳としては、”自分は死にたくない→生きたい→なぜ生きたい→生きるのが楽しい→自分の身近な人が生きることがうれしい”といった論理の流れだ。ただちょっと苦しいだろう。

こうなってくると、なぜ生き物が生まれたのかというところになる。生命誕生の方法も原因もいまだ究明されていないのに。でも、何か理由があると思う。

すべての原子は鉄になろうとする みたいな話を聞いたことがある。その節いわく 全宇宙の原子が鉄になることが、世界の終着点らしい。ばかげた話だが、そのようなレベルでの議論があるのだから、生命の生まれた理由だってあってもいいと思うんだ。

そう考えたとき、宇宙に対してどの動物よりも影響力を出している生物は地球上ではヒトである。宇宙は生まれてから138年経ったといわれているが、その瞬間から生まれてほしかった存在がヒトなのかもしれない。どうにか子孫を残して、進化を繰り返して、知能が上がる。そんな流れを期待して生物が生まれたのなら、少しは生きることが楽しくなるのではないだろうか。