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恋愛に対する考えが少し変わった話

私は、(察しのとおり男性ですが、)彼女らしい彼女がいたことがありません。この書き方は、詳細は省くが、まぁ0.5人としてカウントできるような人がいた ということなのだが、ここでわざわざ見栄を張って、彼女らしい彼女とか、0人ではなく0.5人とかと言っている時点で、「年齢=彼女いない歴」と言いたくない、自分の惨めさを、ひしひしと感じている。

少なくとも、自分から誰かに「付き合おう」と告白したことはない。そういう生き方をしている若者は決して少なくないのでは、と私は思っているのだが、少なくとも世界的にみた、日本人の傾向としては一つあり、たびたび社会問題としても取り上げられがちなところだと思う。

ここで、自分がなぜ誰かに告白したことがないのかを考える。まず大前提として、自分が女性に対して持つ好感と同程度のものを感じた一般的な(ここで言う一般は、彼女がいるのが普通の人たちを指している)人は、告白をする としたい。つまり、自分は根本的には彼女が欲しいと思っているし、異性を好きにもなるが、告白ができない という仮定だ。それを抑圧しているものが何かを考えることで、とらえ方を変えられるのではないかという話だ。

ということで、思いつくのは、以下の3つ。1つ目 失恋のリスクを取れない。2つ目 自分への自身の無さと、メタ認知による抑圧がある。3つ目共同体に対するメリットがないと思っている。 と、以上だ。

 1つ目は分かりやすい。フラれるのが怖いというものだ。それに、付き合ってから分かれたパターンも同じで、メンタルに対するダメージもそうだし、その後のコミュニティでの活動に悪影響を与えること、つまり二人の問題で決着しないリスクが非常に大きい。
 しかし、世の中には、職場恋愛や部内恋愛のようなものはすごくよくある話で、要するにそのリスクを承知で挑戦する人がいるのだ。これはつまり最初の仮説を受け入れるなら、「本当は、そんなことほとんど起こらない」ということなのだと思う。我ながらなんだが、コミュニティ内で敵を作りやすい性格ではないので、そのことについて裏で陰口を言われるようなことは、もう大人になってしまったわけだしまあ起こりずらいわけだ
 。とはいえ、感覚的に、もともとある程度仲の良かった女友達との関係が切れてしまうリスクはどうしても無視できない。また、ここにネガティブな感情がある以上、基本的には「別れることは悪」という価値判断になるわけで、余計にリスクがとりがたくなるのだ。

 2つ目は、大きく二つあって「こんな人に良く見られようとする努力ができていない自分が、誰かと付き合えるだなんて思い上がりだ」というものと、「あの子のことを良く思っているけど、それは無いって思われそうだな」というものだ。
 前者は過去に別記事でも書いているのだが、自分の生まれ持った外見の特徴、性格、そして圧倒的な”努力不足”を(恐らく一般人より強く)コンプレックスに感じているのだ。また、自分には、恋愛感情を、性欲とも友情とも違うものとして自覚できたことがなく、この感覚の答え合わせができていないために、自分を「その個人が好きなのではなく、体目当てなだけ」と評価していることも要因になる。
 後者は、例えば、サークルの後輩に手を出すだとか、入った会社で知り合った女の子にすぐ告白するとか、ブスを好きになるとか、彼氏持ち・人妻にアプローチするとか、 最後の二つは流石にないだろうという評価が簡単に下せるのだが、 それ以前のもの、今までの自分の規範に当てはめると「はしたない」行為であったり、「ありえない」行為だったりと、メタ認知が暴走しているのだ。そして、こういった感情は「こう思われるかもしれない」と感じがちだが、結局のところは、自分がそう思っているのだ。そう思うと、自分は女の子をとっかえひっかえするようないわゆる ”モテ男”を、自分を否定したくないがために否定しているのだ。ゆっくり考えれば答えは自明で”自分もモテたい!”のである。

 3つ目は共同体に対するメリットが無いことである。 自分は割と「自分の感情が弱く、大義名分を必要とする」性格なのだが、こと恋愛に関しては、その大義名分なんてあるわけがないと思っていた。 ここが今回の肝なのだが、 冷静に考えて、日本人口はおおよそ男女1対1で、若者の人口比は低いのだ。 そんな中で、自分が彼女がいないと嘆いている限り、一人の日本人女性は彼氏ができずに悩んでいるはずなのだ。

 もっと言えば、日本は今童貞・処女人口が多く、また少子化にも悩まされている。少子化に関しては、経済的な要因によるところなどもあるだろうが、少なからずカップルの減少との因果関係はあるだろう。日本が好きで、コミュニティへの貢献や、維持・発展にも喜びを感じるような性格である自分がいて、日本に対する非常に大きな貢献をできるチャンスがあるのだ。 これは申し分なく大義名分であり、「おあつらえ向き」だろう。

 さて、ここで、それぞれの要因による相乗効果を考える。 3はメリット、 1、2はリスクの部分であるが、 1と2のシナジーは非常に強い。自分には魅力がないと思い、好きになった相手のことも卑下し、自分の魅力のなさから、仮に告白してもOKされる確率が低く、またフラれたときに自分と相手の関係や周りの人間関係に悪影響が出ると思っている。ましてや自分を動かす大義名分もなければ、そりゃ「フラれるかもしれないけど、告白しよう!!!」なんてポジティブな感情が生まれるわけがない。

 じゃあどうすりゃええねん、って話なのだが、ここまでの話で半分くらいの回答は出ている。そして、決定的なソリューションを思いついた。それが「マッチングアプリを使う」ことだ。 そもそも自分は初対面のコミュニケーションが得意ではなく、新しいコミュニティに参加するのは、結構大きな労力を必要とする人で、また先ほどの、モテ男否定理論によって、「マッチングアプリなんてけしからん」みたいな感情があった。
 なにより、「一時の彼女ではなく、気が合う一生仲のいい人」を、期待しているのだ。なので、自分の性格が割とユニークで、平均的な女性との親和性が低いだろう自覚のもと、「初対面でなんて勝率低すぎでしょ」とも思っていたのだが、寧ろ最初の彼女と結婚して死ぬまで幸せなんてケースは、それこそ勝率は天文学的な低さなわけで、ある程度「彼女作る慣れ」をしないといけないのは当然なのだ。 数打った中で、自分のようなひねくれた考えの女性に出会えることだってあるだろうと思う。 こういう時に使う言葉ではないのだが「嫌われる勇気」である。

かつて自分が好きだった(と今になっては思う)人、今関係があってちょっと気になっている人、そういった具体例に対するアプローチに凝り固まっていたがため、見えていなかったし、恐らく周りの人たちは彼女を作ることを自分よりライトにとらえているのだろうと思っていたが、それが腹落ちしていなかったのも、これが原因であるのだ。

マッチングアプリを容認することで、「既存のコミュニティ・人間関係に影響を与えない」「相手も彼氏が欲しい人であるため、すでに関係のある人よりその分勝率が高い」「どれだけフラれても、関係が浅いが故に心理ダメージが少ない」「それ故、強気なリスクある行動も、総合的なリスクが薄い」と、良いことづくめなのだ。 というか、今まで戦っていた土俵から、皆が戦っている土俵にやっと移動してこれた感じである。

まとめだが、ただ「彼女が欲しい」と思い、「恐らく、自分から動けば、数打てば当たるものだ」と頭で理解したうえで、「こういう理由で自分から行くことがはばかられる」という現状の分析に、たった一つ、「大義名分」があるだけで、考えが広がったのだから、やはり推論というのは面白いものである。