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思考停止のしかた

思考停止というと良くない印象を受けがちですが、用法要領を正しく守ればいいこともあります。やり過ぎると良くないので本当に薬と一緒ですね。

効果の方からいうと、深いことを考えないで済むので、他の事を考える余裕が増えるという点に尽きます。皆さんは、お店で売っている生野菜をいちいち産地から製法から確認したり、不明瞭なら店員に聞いたりするかといわれるとしないでしょう。それはそのスーパーなりなんなりを信用しているからです。信用する材料は日本だからかもしれないし、店が有名だからかもしれないですが、用は何かしらの判断材料から信用できるかどうかを考えているんです。

そしてこれは、相手をどれだけ信用できるかによって、自分を信じない程度(思考を停止する程度)がかわるということです。例えば、地球には雌雄同体の魚や、成長すると性別が確率で変わる魚がいるらしいですが、ぶっちゃけ俄には信じがたいです。でも、生物系の国際の学会がその存在を認めているんです。その道のプロですからね。信じるしかないでしょう。なんの証拠を見なくても。

要するに、人によって自分の知るべき情報の粒度は違うので、不必要に深いところまで知ろうとするのはバカだということです。視座とか言われる考えもこれに近いとおもいます。

でも、なんでもかんでも人に任せるわけにはいかない。相手の判断が自分に影響を与える可能性があるなら、思考停止は場合によっては悪手だ。

例えば最近、大学入試を記述式にするとか、民間の英語の試験で代用するとか、そういった動きをしようとして失敗したっぽいですよね。なにも知らない人からすると「国の偉い人が考えたなら、そこそこ考え込まれているのだろうし、大丈夫なのでは」みたいな事を思うかもしれません。でも、実際は「偉い人が他を食い物自分が儲かるための仕組みを考えた」かもしれない(というか天下りパラダイスでほぼ確定らしい。詳しくは自分で調べて)んです。以前から文科省は教育現場からゴミゴミ言われていたわけですが、今回のは流石に感化できないと。こんな状況でもまだ盲目的になれるか、答えはNOですね。自分の老後を支えてくれる未来の若者ための制度がゴミになったら苦しむのは自分でしょう。

まあ、自分に関係しうる範囲で、頭のいい人(というかその分野に明るい人)同士の討論はちゃんと見ましょうという話ですね。自分に関係する度合いが興味深さになるはずなので、そういう事柄ほどちゃんと調べてみるべきです。

日本国民が政治に興味を持たない理由は、興味がなくてもそこそこ幸せに暮らせているからだと僕は思っています。その期間が長かったから、「人任せでも大丈夫」と感じてしまったのではないかと思っています。責任感の強い人じゃないと政治に関心を持ちようがない状況ですね。

 

今の社会より圧倒的によい未来が描けていて、ノーコストでそれを実現してくれる誰かが頑張ってくれるなら、そりゃ投票にもいくだろうけど、実際に政権とってくれる確率とか考えたり、そもそも自分の理想に沿う立候補者とか居ないことすらあり得るのだから、そんな状態で全員に関心をもてという方が無理です。

しかも、さっきいったように「他を食い物にして自分が得をする」ひとがどこにいるかわからない状況で、メディアを信じることも難しいと来たら、もうリスクをとる気にはならんわな。自民1強となってしまうわけだ。

そうやって考えると、頭がパンクしそうになるので、できるところで積極的に思考停止を狙いに行くことは大事だよという話でした。