ラバーダッキングするブログ

脳みそ垂れ流しブログ

生き方を否定された話

私は人を疑わないが、信用しない。矛盾しているようにみえる二つだが、必ずしもそうでもないのだ。

物分かり良く生きて、何に対しても盲目にならず、公平な立場でものを考える。そんな生き方を心がけていた。すべての人間がそうあるべきであり、それが出来ない人間は仕方がないといえどおろかだと思っていた。そしてもしかしたらこの生き方は間違っているかもしれないから、その事実に気付いたときは自分を壊してその考えを取り入れて、またそのとき新しい生き方をすることを考えているわけだ。

だから、誰のことも、自分のことも信用しない。それが人を疑わず、信用しないという生き方なのだ。まぁいっけんつまらない生き方なのだろうが、僕は楽しいのでこれでいいかなって思っています。盲目に信用して裏切られる恐怖の方がよっぽど高い。

それに関連して拘りや執着のようなものも全然ないのだ。今までの中学から大学の10年間でいろんな音楽を好きでやってきたが、ジャンルも楽器も何か一つに絞ってなんかいない。ある意味ひどいものだ。人には「いろんな楽器できるなんてすごいですね」といわれるが、ぼくから言わせて見れば何か一つのことに熱心に10年間できた方がよっぽどすごいと思う。

執着がないことは、自己の弱さでもあるわけだが、物分りのいい生き方というのは、自分なりに自分に対する言い訳をつけて、無理なものは無理と諦めて決め付けて、取捨選択をして、効率よく、自分の拾える幸せだけで我慢して、というものだ。その程度のことを甘んじてきたのだ。それを"若いのがそんなんでどうするんだ"と上から、ぶん殴られたのだ。

自分では分かっていたけど、わかっていないフリをしていた部分だった。でもどうしようもないじゃないか。そうするしかなかったんだから。他人を陥れるようなこともしてないし。