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価値観の叩けいくない(反省)

物事を判断する時に人はそれぞれ自分の価値観に従って判断する。これは当然の話で、だから人によって同じ状況で下す判断が違くてもしかたない。

私は基本的に人に相談をされたとき、自分の価値基準で解決策を提示するのではなく、相手がどうしたいのかが真には分からないので何を大事にするならこういう判断はアリといういくつかの例を列挙することが多い。

そんな私は「価値観云々によらず絶対的に正しい理論がある」と考えていた。なにかをとればどちらかは捨てなければいけないような状況でなければ、少なくとも思考法の次元ではそういった正解がある、とそう考えていた。理論のシステマチックなところや美しさが何よりも大事だと考えていた。

でも、それが自分のよくないと感じていた価値観の叩きつけに他ならない事に気づいたのだ。スロットをオカルト的に遊んでいる人間にお前の撃ち方は馬鹿のそれだと、言う必要はないんだ。

例えば私はほぼ感情的にものを考えないが、感情的な思考を持っている人間にとっても正しい判断と言うのは同じものだと考えていた。だってそれは明らかに考えうる最適解なのだから。でも、本当はそんなことなくて、自分が信じたい事というのはいくら学術的に否定されていても信じるものなのだ。雲が綿菓子だと言い張る人間にあれは水滴だと言い聞かせる必要はない。

人と付き合う上で理論の美しさより、優先しなければならないものがあるという事実は、けっこう来るものがあった。