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それは一体誰の責任?

政治に対する、社会に対する文句のようなことを色々聞く。

僕的な意見としては「全ての不利益は当人の能力不足」と思っているので、「それはお前の能力と努力が足りないせいだゾ」って思っている。

でも、それを国が明言することはおかしいのではないか?という否定をされた。僕はそれでも「いやおかしくない」と思っているのだが、その人曰く「国として国民を守る義務があるのだから、国を維持するためにも、誰でも3人以上の子供が容易に産めるような環境を用意しろ」ということらしい。

まぁそれがあるべき姿だという意見は一理ある。生まれた子供のうち子供を産む前に死ぬ人も一定数いるわけだから、1夫婦当たりの最頻の子供の人数は3人が妥当だろう。

じゃあ、今のヒトという種、とくに日本人に関して、「生活に余裕があったところで子供が3人ほしくない人」あるいは「結婚願望がない人」はどれくらいいるだろうか。この話は多くの先進国つまり生活レベルの保たれている国ではよく考えるべき話だと思うのだが、今の社会というのは「野生として落第」というのが正しいと思うのだ。高度に発展して、生き方も性の在り方も多様化して、コンテンツは氾濫し、喰うに困るようなことは絶対になく、子孫の繁栄なんて自分が考えなくても種の繁栄はほぼ100%担保されていて、世界中の誰とも繋がっているせいで孤独を回避できる。(なんなら何かしらの方法で教えられなかったら子供の作り方すら知りえないようなわけで)こんな生物として子供を産もうと思えるわけのない生き物が社会を構成していることを間違いなく失念している。(この話題はさらに深くやりたいきがする)

出生率が低いのは国のせいだと、それはお金が余っているような人間からお金を回収して、お金の持っていない人に再分配するシステムがないからだと、消費税は高すぎるし、最低賃金は安すぎるとそういう人間がいる。(というか僕に説法解いた人がそう言っている)

この論点に則れば、大きな企業が資本を蓄えて、それ以外の大部分の国民がお金がなくて困っているような、要するに格差社会になっているから国がどうにかしろというのだが、賃金が安すぎると思うなら国内で就職せずにアメリカのシリコンバレーにでも渡って稼いでくればいいと思うんですよ。そして10年働いたら余生はエジプトで遊んで暮らせます。それもできないなら当人の努力不足でしょう。

みんなが本当にそう思っているならそうなるはずなんです理論上。(ここでそれは理論の話だとかいうかもしれないけど、そんなことを言ったら消費税が0%になったところで国内に活気が溢れるというのも理論の話ですからね。)そうなったら、新人の入ってこない日本国内の資本の余っている企業は(そんなのが本当にあるのならの話であって、もしなければ国が法人からお金取ったら全部潰れることになる)初めて給料を上げるのです。もし優秀なよく頑張っている社員がいるなら、そいつの給料をさらに上げて手放さないようにするというのが正しいやり方というものです。日本人はそういうお金の話を汚いといいがちですがその

そもそも、日本の格差の度合いは世界的に見てかなり少ないほうのはずなんです。いわゆる中間層といわれる人間が大半を占めていて、識字率はほぼ100%で、学校に行けば生徒の大体がゲーム機かスマホを買い与えてもらえるような、そんな国なんです。これ以上を国に求めるのは傲慢であり、お門違いであり、努力不足だ。

自分が幸せかどうかを比較するのは間違っていると思いますが、日本人は間違いなく多くの他国民より恵まれていて、幸福度を高く保ち得ます。東南アジアとかの国から日本に来る人間は「素晴らしい国だと思っていて、憧れていた。けどみんな幸せじゃなさそう」と言ってきますが、本当に幸せだと思っていないのなら、それは自分が悪いです。得ている環境は十分に自分を幸せだと感じさせることのできるだけのものなのだし、その証拠に日本より貧しい国の人が自分が幸せだと言っているのだから。多分幸せに感じているのを表に出していないだけだと思いますけどね。

個人の不幸せは個人のせいなのか、会社のせいなのか、国のせいなのか、教育のせいなのか。どれかだけが悪いなんてことは絶対にないですが、おそらくどれも悪いのでしょう。でも他人を変えられなくても自分は変えられるのだから、自分が努力して幸せに生きていければそれでいいのかなーって思います。