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自分の弱点に気付いた話

私は、別に勉強ができる人間という訳ではない。これは、じゃあ自頭が良いといいたいのかと聞かれることもあるがそういうわけではなく、勉強ができるわけではないという、ただそれだけなのだ。

ただ、この「わけではない」には、間違いなく次に「しかし」と続くだろう。ここで自分のことを立ち返って考えてみる。

今までの人生で、色々な人と出会い、コミュニケーションをとってきた中で、自分の思考が、どうやら平均から乖離しているらしい ということを感じてきた。人からは頭が回るとか評価されがちなのだが、別に必ずしもそうと自分を評価しているわけではなく、あるときは「お前どんくさすぎかよ」と言われたこともあった。

つまり、良し悪しではなく、異質なのだ。そして、今日なんとなく一つその異質さを説明できるような気がしたから、備忘録的に残しておくことにした。

私はきっと、心配性なのだと思う。何をやっていても、色々と細かいことが気になってしまうという性格をしている。厳密性を重要視しているといってもいいかもしれない。そして、厳密には分かりようのないものがあったり、ひとつひとつを検討することがほとんどの場面で利益に結び付かないことも、理解している。 そのうえで、対面することになった問題にたいして、 そういった部分を含めて俯瞰的な把握をできないと気が済まない性格なのだ。

私は、仕事で分析を行っているのだが、比較的大きな粒度の問題を解決するための分析の計画を立てそれを実行し、結果から考察をし という流れの中で、どうしても、細かい疑問点が都度湧いてしまう。 そこまではいいのだが、問題はその続きで、これは本来大筋としての目的を達成するために、どのような理由で、解決することが求められるのかを、常に頭に入れた状態で議論を進めなければいけない部分なのだが、自分はその「大前提を保持したまま考える」能力が十分ではないのだと思う。まぁ恐らくそういった能力がそもそも必要になる人は少なく、いても難易度は客観的に高いと思うので、自分がこの点において平均以下であるとは思わないが、なんにせよ不十分ではあるのだ。

要するに、細かいことが気になってしまい、ふと深堀してしまう性格そのものが、問題解決の高速化にとって悪影響を与えていると思うのだ。これが自分の思考の弱点なのだろう。 

そして、これは、勉強ができないということにもつながっているように感じる。高校までの勉強内容は、体系的な把握よりも、その後の専門性の高い内容を理解するために必要な前提知識を身に着けることを重要視している。確かに、教科書のそこまでの内容を理解していれば、その項の内容が理解できない という事態は発生しないようになっている。が、それぞれの理論が連結しないために覚えづらく、面白くない。そのため、よくある「この勉強は将来何のためになるんですか?」という質問が生まれるわけで、心から楽しめる人など自力でその勉強の適応先とリンク付けできるような人間だけなのだ。そしてこれは私の性格と非常に相性が悪い。大学に入るまでは「言われたことを努力できること」が評価されるのだなと、強く感じる。 ここまで整理すると「アメリカは入学より卒業が大変」という意味も理解できる。

さて、この細かいことが気になってしまう性格は、恐らく気質的な部分だと思う。それによって、脳をトレーニングして、その部分のシナプスを強化してきしまったがために、今があるような気がする。つまり、変えようと思って帰られるものでもないのだ。今こうやって文字起こしをしようとすることさえ、このシナプスの強化に当たる行動なわけだし。

では、弱点が明確化したわけだが、ソリューションはあるだろうか。結局、脳内での思考の際、そこには口頭でのコミュニケーションが付属することもあるが、大筋からずれない範囲での思考ができるようにならなければいけない。基本的に自分の思考順序は「今、こういった問題に気付いた」「似たような問題はないか」「実際それによる影響はどうか」「この影響に関して、ほかの要素の影響はあるか」といった順番が多い気がする。 つまり、ネストが深くなるのだ。

...これマインドマップ的にまとめる癖付けてみるのが早そうじゃね? 明日からやってみよう。