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自分がうつ病でないことを否定することはできるのか

よく、うつ病や自殺に関するエントリーがSNSで流行っているところを見る。どれも痛ましい(日本語合ってる?)内容で、やはり、だれの身にも起こりうることなんだなぁと感じる。

自分の身の回りにも、うつ病やそれに近い症状でお医者さんから薬をもらっている友人が2人ほどいる。こんなに友人の少ない私ですらこうなのだ。 いや、類友ってだけで、バイアスがかかっている可能性は否めないが、つらい思いをしている日本人はたくさんいるのだと思う。

ところで、一般に精神病といわれるものが病気として扱われる基準を御存じだろうか。これは厳密には違うこともあるのだろうが、多くの精神病は日常生活に支障をきたすレベルのものを指す。ロリコン(医学的にはペドフィリアっていうんでしたっけ?)や露出狂のようなものも、そういった基準で病気かそうでないかを判別するらしい。要は本人が困ったら、定量的にみて、程度がどうであれ、お医者さんに罹ってもいいよという意味らしい。

理系脳全振りの私的には、この基準の言わんとしていることに納得はするものの、じゃあみんな定量的にみてどれくらいのストレスで音を上げているのだろうか、と気になってしまう。もちろん、同程度の現象に対してどれくらいのストレスを感じるのかすら、人によって違うのだから、実際に証明できる問題ではないこともわかっている。どんなことから、どれくらいストレスを受けやすいか、どの程度のストレスなら受けても大丈夫なのか。許容量の何割くらいでどんな症状が出るのか。 そんなのはすべて個人差の世界のはずだ。

それでも、世の中には精神外科医やカウンセラーと言われる人がいて、そういった問題を抱えている人のケアをしてくれている。こういった人達はその専門であり、ある程度「お医者さんに助けられた」という話を聞くということは、その専門性=学問としての体系・知識がいろんな状況に柔軟に対応できる便利なものであるということであり、きっとこういう人たちに自分のことを見てもらえば、大丈夫とか大したことないとか、深刻な状態だとか、そういう評価はもらえるはずで、それはある程度信用できるはずなのだ。しかし、自分が問題に思っていないなら、こういった人たちに見てもらおうとは思わない。ただ、うつ病になった経緯みたいなのを見ると、大体後から考えてみれば警告のサインが出ていたというケースが非常に多い(ように見える)。自分もそれを無視してしまっているだけで、本当はやばい状態なんじゃないかと思ってしまうことがある。

事実、起きないといけないと思っていても起きれないことはあるし、生活の中で息苦しさみたいなものは常に感じている。満たされないな生きずらいなって思いながら生活しているし、そこそこストレスを感じてはいると思うし、それを発散できているとも思わない。これが自分じゃなかったら精神崩壊していてもおかしくないなとは思う。

ただ、これはかなり神経質な考え方で、自分が仕事で集中できない理由や起きれない理由を病気のせいにしてしまいかねないとも思う。お医者さんに罹って初めて病気のせいにできる。シュレーディンガーうつ病だ。これは非常に難しい、しかも一般的な問題だと思う。 誰もが、自分自身で自分のことを専門家でも何でもないのに、正確に評価して、異常になったら、専門家に見てもらうべきという、意味の分からない状況になる。

自分の性格を、病気のせいにできたら、どれだけ楽だっただろうか。