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人に好意を寄せるということ

自分の話ではないからこそ、第3者として上手に立ち回ってあげたい気持ちが生まれてしまう、私の得じゃない性格の一つですが、結局「こういうときはこうすればいい」みたいな形に落とし込めないケースな気がすることに直面したのでメモることにした。

何があったのかというと、友人がある女の子(以後Kさん)を好きになっちゃったんだけど、好感度めっちゃ低くなってしまって、友人は諦め切れていないのだけど、Kさんは気持ち悪がっているという事件があって、どうにかしてあげたいなーというところなんですね。

同じような事態になった友人をぼくは他に知っていて、その人恋愛がめちゃくちゃ下手というか、ピュアというか、そういう残念な人(そしてなかなかのクズ)だったんだが、そいつは一途過ぎてもう何回も告白してはフられを繰り返している。まぁ当然のようにぼくはその2人のことを知っていて(なんならその残念くんよりも良く知った仲だったし)とっとと諦めさせることができれば二人にとって幸せだっただろうとも思うのだ。

この2人の友人、なんか恋愛の捕らえ方が似てるんだよね。変にピュアで理想主義的で、最後は報われると信じているような節がある。人によっては(それこそ神のみじゃないけど)無理ではないのかもしれない。しかし彼らにそれが出来るほどの脳味噌が(恋愛に関しては少なくとも)ないというのがおそらく本当のことなのである。ついでに「軽い付き合いだけで好感度を得られないような悪いステータスを持っている」という点も(例えばデブだとか、酒癖が悪いだとかそういうの)似ている。つまり「きっと友人はその残念くんと同じ末路を辿るだろう」ということになる。

さらに面白いことに、相手の女子の反応も面白いことに「好きでもない人間に寄せられる好意は気持ちが悪い」というもので一致している。僕の分からない部分はここだ。

何かを好きになること、それを伝えること、それが誰かにとってマイナスになる可能性があるということだ。この「気持ちが悪い」という気持ちは尊重されるべきでない理由があるなら簡単なのだが、どうなのだろうか。

思うに、「すきでもない」ではなく「嫌い」なんだ。そう思えば納得はいくし、そう思われてしまうようなことをしてしまった人間には、相手をすきという気持ちは伝える権利を持たない。すくなくとも真に相手のことを思っているのであれば。因みにこの部分に臆病になりすぎると私のような人間になります。それが怖くて恋愛できないです。

逆に、かつて私の女友達の言っていた「告白されそう、好意をもたれそうな相手に気付いたときは、全力で距離をとる」というのを、それを聞いた当時「コイツマジ?」って思ってましたが、実はよっぽど性質のいいほうだったのかもしれないですね。

結論としては、必ずしも人をおおっぴらに愛することというのはほめられたことではない となるのかな?