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印象操作とお勉強

仮に「馬鹿な人間は全員マックに行ったときチーズバーガーを頼む」としよう。このとき、馬鹿な人間は「俺は馬鹿じゃないからチーズバーガー以外を頼もう」という心理になるらしいが、そんなことはない。チーズバーガーを頼む人間の集合に馬鹿な人間の集合が包含されている訳で、馬鹿じゃない人間もいるはずである。

メディアで行われる印象操作にはこのての罠がたくさんある。政治家の発言をいい感じにカットしてつなげて、全然違うニュアンスにして放送するなんてこともしている。テレビ局は新聞社と違って「公平な放送」が義務付けられているというのに。だが、「許せない!」といっているだけでは何も始まらない。問題を認知して正しいメディアリテラシーをつけることが先決であるということになる(と思う)

先程の集合理論に限らず、例えば円グラフの円を図的に占める割合と、実際に数字が示している割合が違うことがあるなんていうのもよくある話だ。

で、ここで教育の大事さというものに流れていくわけです。 今の教育のシステムというのは次世代に受け継いではいけない部分も多い。しかし教育現場が他の何よりもきっと大事だとも思う。(こういうことを言うと「じゃあ教育いらないの?」みたいな馬鹿発言する奴いるからな)。

教育のあるべき姿は「自立できる人間を育てる」というたった一つの理念に基づいたもので、今までの日本では「協力」や「協調」がどうしても大事だったというのもあって今までのような教育になっていた(先生の思想に左右された内容になるとか言う話しは省略)。例えば運動会で全員足並みをそろえて更新するとか、団体で何かをするとか。でもこれからの時代はそうでは無くなりそうである。これからの世界で生きていける人間は「AIにできないことができる人間」である。協調性を持って行わなければならなかった作業チックな分野は人間がてをわざわざつける必要が無くなったわけである。こうなってくると、いわゆる勉強とは別にモチベーションを行動に変える力を育てる重要性が増す。その一つに思考力は含まれるわけで、未来の先生はぜひともがんばってくださいって感じです。