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安楽死に賛成か否か

最近、依頼を受け安楽死をさせたある医師が殺人の容疑で逮捕された事件があったのをご存知だろうか。

多くの人間がどう思っているのかは知らないが、恐らくは、死なせてくれという、本人の願いがあったことが認められても、法律で、意図的に患者を死なせるように薬を投与したりするのが、禁じられているという理由だけで、医師が殺人の罪を背負うのはなんか違くない?ということで、盛り上がっているのだと思う。

別に、最近こういう事件が無かっただけで、この問題は日本に前からあることで、安楽死をさせた医師が捕まった事件が過去にいないわけでもない。

参考までに、日本ほど延命治療に積極的な国は少ない。アメリカでは延命治療をするなんて残酷という意見も少なくないらしく、ベッドに寝たきりで、普通の生活に復帰できる見込みもないのに、チューブを繋げて生かされ続けていることを気持ち悪いと思うらしい。それも民事訴訟が起きるレベルに。私もこの意見には賛成だ。

いつかの記事でも書いた気がするが、私は延命には反対だし、安楽死には賛成だ。自分の立場で考えたとき、寝たきりの生活しか残されていないのに生き続けたいなんて欠片も思わない。母方の祖母が今そんな状態で、顔を見せに行ったとき、強くそう感じた。でも、祖母のことをどうするかを、仮に法的に安楽死が認められていても、決めることは僕にはできない。僕に権利がないのだ。多分私の母にも決められないだろう。認知症などまともな受け答えができない患者でも遺族には大きな恩のある人な訳で、死なせる判断を勝手にするのは、本当にいいことなのか?本人は本当は生きたいと思っているんじゃないか?と思うだろう。

つまり何が言いたいかというと、安楽死ができる法律になっても、そう簡単に選ばれる選択肢ではないということだ。家族が病院に入れたりしている時点で、その人は誰かの大切な人なわけで、家族から「何で安楽死しないの?」と言い寄られることはそうそうないだろう。そこまで行かなくても、促したりだってしないはずだ。本人の確固たる意思があって初めて、されるはずだ。なんなら周りの人間が反対することもあるだろうと思う。

それでも僕は、まともな受け答えができなくなった祖母を見て、自分が、本当にこうはなりたくないと感じた。でも今の法律ではおそらくこうするのが最適なんだ。こうしなければ、家族は自分で介護しないといけなくなるし、眠っている間にナイフで刺したりもできないだろう。安楽死という選択肢があったら、どれだけ楽だろうか。

僕は前、日本が安楽死を認めていない理由は、命の尊厳がどうのとか、生かせる命を意図的に失わせるなんて道徳的にどうなの?っていう論点や、もらえるはずだった年金は?とか本人に判断能力がない場合、家族がその判断を勝手にしていいのか?とかのルールが難しいという論点にあると思っていた。安楽死を認めることそのものが残酷だから難しいと、思っていた。しかし現在の反対派の主流な意見はどうやら違うらしい。もし安楽死を認めてしまったら、ALS患者で延命している人が「なんで安楽死しないの?」と攻撃されるようなことになりかねないというものらしいのだが、これはどう考えても本質的ではない。

だって、認められていない今だってそのような攻撃はネット上で簡単に行われているではないか。誹謗中傷という形で。「何で死なないの?」と有名人などに攻撃する人がいるのは周知の事実だ。これは本人が寝たきりだろうがどうだろうが、断固として許されない。自殺をした人は罪には問われないのだから、法律で禁じられているから出来ないと言い返すことができない。かと言って「自殺は犯罪」という法律は作られる事はないだろう。まぁ今の日本でそんな法律作ったら違う意味で大バッシングなのだろうが。つまり、安楽死を認めようが認めまいが、このとき問題なのはそんな攻撃をしてくる奴の方にあるのだ。そこらへん過度に反応してしまうと、人権を守るために人権を制限するという、凄く矛盾したことが起きる。

別に命に限ったことではない。貯金している人は何で余っているお金を募金しないの?とか言われるかもしれないから募金を禁止するという流れにはならない。自分のことを自分で決める権利が侵害されてはいけないし、その中に自ら命を断つ権利があってもいいだろという、ただそれだけの話だ。

延命治療は残酷だという感情があることを、多くの人の知ってもらいらい。